江戸時代、文化文政(1804-1830)頃の倉敷阿智神社の祭礼は、別名で屏風祭とも呼ばれていました。町内各家が通りに面した格子戸を外し、自慢の屏風を飾り、花を生けて人々をもてなしたと言われます。人々との心のふれあいや語らいを楽しんだ良き昔の思い出をたどり、その伝統を現代に生かすべく「倉敷屏風祭」が復活されました。往時の町並みの姿を色濃く残す、本町から東町にかけての32軒で屏風や自慢の品々が飾られました。 そんな中で私達の工房展が開催されました。