江戸時代の久留里藩主黒田家(現・君津市)14代の末裔がゼオン化成OBの
黒田英志さん(鎌倉市在住)であること、小生の住居に近い横浜市栄区飯島町に
ある、葵の紋を寺紋とする光長寺は、飯島の領主であった黒田家三代の光綱の
末娘・呂久が、徳川家康の最後の側室とされる「お六の方」を弔うために、
五代目の飯島領主が中興開基した寺ことが分かった。
これらを小論にした「飯島村の領主黒田氏とお六の方」として戸塚歴史の会
機関紙「とみづか」に投稿したものを、新聞記事と一緒に紹介します。
横浜市戸塚区戸塚町753−103 佐藤 正喜